きもの風土記
ショウが行なわれたランゲヤーン
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市内を散策するきもの美人
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蘭の商業を支えた帆船
ミデルブルフ市
オランダの西南端に位置するミデルブルフは、ゼーランド州の州都として中世の頃からの海洋交易で発展してきたが、その歴史は水とバイキングとの戦いの歴史であった。特にバイキングには3度の侵略を受けている。しかし、17〜18世紀にかけて北海に面して広がる地の利を活かした海洋交易により黄金期を迎える。
そんな往時を彷彿とさせる中世の歴史的建造物を数多く有す街並みは、荘厳の中にもモダンな明るさ、まさにおとぎの国だ。
そんなロケーションを拝するこの街は、それ自体が既にステージであり、きもの姿で歩く日本女性が一際目立つ。そんなミデルの中心に堂々とそびえ建つゴシックの塔、ランゲ・ヤンを持つ修道院が今回の会場だ。

オランダの歴史
古くはベネルクス三国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)をネーデルランドと呼んでいたフランク王国時代、2番目の王位についたカール大帝の時代にネーデルランドは強大な力を持った。しかし、封建時代に入ったその後の10世紀には、西はフランス領、東はドイツ領と二分され、スペイン王国の支配下となるが、抑圧からの開放戦争80年戦争が1568年に勃発。結果、オランダ連邦共和国が誕生する。1586年のことである。
他国の支配から開放されたオランダは、17世紀、東南アジアとの貿易をベースに商業を繁栄させ、文化、芸術、科学など多方面にわたり世界一の商業国として成長していく歴史の中、伊、仏との戦いを経て再びオランダ共和国の幕を閉じる。しかし、1815年には独立宣言をし、産業を復興させ現在のオランダの礎を構築していくさなか、第二次大戦が勃発。その初期の1940年、またぞろナチ・ドイツに侵略されるという不孝に見舞われる。
再三再四の完全支配下に置かれたオランダも、終戦を迎えると、名実共に独立国として近代国家への道を歩き始めたのだが、振り返れば、オランダの歴史は、さながら日本の戦国時代を彷彿とさせるような、戦いの渦の中に翻弄され続けた歴史だといえよう。
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観客と一体となったステージ
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 オランダのご婦人方
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 街角の宣伝ポスター

ミデルに舞う日本の粋

ショウのスタッフ一同はマルクト広場の市庁舎でのレセプションに参加。市の幹部の歓迎の言葉を受けるやいなやすぐさま舞台設営のため会場へと移動。
まず困ったのは照明だ。ヨーロッパの夏の日は長い。
会場は修道院。天井は高く窓は遥か上でつながる。妥協せざるをえない。
やがてリハーサル。日蘭のアマモデル約100人が舞台をうろうろぎこちない。演出家のもと厳しいリハーサルが3日間続く。コスチュームを着ての最終の頃にはモデルも落ち着き、余裕がでてくる。一安心だ。2日間のショウだが、1日目は20時開演。
オランダ中のVIPが招待されている。振袖、打ち掛けと、日本の伝統美を身につけた日蘭の素人モデル衆が、舞台に舞う。
十二単衣の着付けの頃には興奮した観客がスタンディングオベーションで客席に揺らぐ。舞台と客が一体となったところで幕。時計の針は23時30分を指していた。実に3時間半の長丁場であった。
写真には無いが、ミデルブルフの象徴ランゲ・ヤン(会場)の壁面には、30点あまりの京鹿の子絞りの作品が並ぶ。そのすばらしさにオランダッ子が目を見張る。いろんな質問がとんでくる。実に有意義な時間であった。
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 一般から募集の素人モデル  婚礼衣裳を付けたオランダ女性