ピードとテクニックの限界に挑む男たちの目指す国際レーシングコース。これを有することでその名を覆せる三重県鈴鹿市。そんな現代に根気と忍耐と技術を駆使し、時間にたてつくかのように伝統を守り続ける街がある。
日本の文化を彫り続ける「型紙の故郷」三重県は鈴鹿市、白子の港町がそれだ。
   
きもの風土記

鈴鹿峠を越え、サーキット場を右に鈴鹿の南東部へと車を走らせる。歴史の中では伊勢参宮道の宿場町であった白子の街が、その細長い体を波の静かな伊勢湾に抱かれるように静かな時を刻んでいる。
    

伊勢型紙の誕生
染色に必要な
水に恵まれたわけでもなく、といって和紙の産地にも遠いこの地になぜ型紙が誕生したのか?この謎はいずれの日にか譲るとして、ここでは型紙発祥の一説を紹介しておこう。
寺家(じけ)町の古刹、子安観音に参拝することを日課としていた久太夫翁が、境内にある「花の香の恵みの絶えぬ御堂かな」で有名な不断桜(天然記念物)の虫喰い葉を見て、その形状の面白さに心魅かれた。また経本を面白く喰った虫のキズが目に映った。このことに直感を得て紙に模様を描き布に転化することを思いついたという。
 
きもの風土記 きもの風土記 きもの風土記
不断桜  子安観音 参宮街道

型紙の推移
白子浦
が玄関口であったこと、かつては庶民の伊勢参宮道筋にあったことも一因であろうが、紀州藩の商人でありながら武士と対等の種々の便宜を与えたり、弟子を取ることを許さず門外不出の政策をとるなど、藩を上げての保護が発展の根幹をなした。現在生産高が少し減少しているが、健在だ。