きもの風土記



このサイト作成にあたってまず感じたのは、紋章名に難しい漢字が多く使われており、なかなか難解。が、絵面を見ると「なるほど」と合点がいく。例えば私家の家紋は上にある「丸に立ち沢瀉」。沢瀉はオモダカと読むのだがまずは読めない。「おもだか(今は面高)」という植物は、池や沢などに自生する水草で、愛らしい花を咲かせる。
その昔、葉の形が矢ジリに似ていることや、「沢瀉威の鎧」という言葉もあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とも呼ばれた。
昔の武将毛利元就も「ゲン」をかついだのだろか、副紋にこの「沢瀉紋」を使用している。
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面高草と花

 家紋の由来
紋章とも、家紋とも、紋ともいう。紋とは模様の意味であり、その用途にしたがって定紋、正紋、本紋、代紋、添紋、秘紋、裏紋などと使い分けられている。これを付けることによって所属や格式などを容易に知らせることができる一種の目印だ。馬標、指物、船印、纏の印、その他市章、学校の徽章などはこれに属する。
普通、紋所というのは衣服の個人的な紋章をさし、本紋と替紋とがある。白衿、黒紋付の礼装には本紋を付けたものとし、これに準ずる略式の場合には替紋を用いる。
昔、この紋は姓の目印として用いられたのではなく、姓である氏から出た家系を区別するために、その苗字の目印として用いられた。そして、この紋章の起源をたどってみると、推古天皇11年(約600年頃)、旗幟に絵を描かせたことに始まると「日本書紀」に記録されている。以後、公家では輿車に多く用いられ、武家のものは旗幕にしばしば見かけられた。
藤原時代の末にそれが紋として定着し、天皇家においては菊花の紋章を後鳥羽上皇(1180〜1239)自らが作られたといい、また刀の柄に16弁の菊花紋を彫り付けている。
公家の家紋が天皇家の影響を受けて早くから活用されてきたものの、鎌倉幕府創立(1192)以後、武家の権力が強まるにつれて公家の地位も凋落、それに伴い輿車に紋を用いることも廃れていった。これに反して武家の家紋は旗幟物にも流用されはじめ、鎌倉・足利時代
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(1192〜1573)を経て、競って用いるなどますます盛んになった。例えば、源平時代に用いられた旗幟に、佐竹氏の場合、源頼朝より「扇に月の出」を配した紋を下賜わされたことが古文書に記述されているし、宇多天皇をして弘安4年(1281)の蒙古襲来を描いた戦記絵巻には、家の紋を付けた旗を林立させた武士の姿が見受けられる。

 家系表す紋章
足利義政将軍の頃(1480)から衣服にも紋が付けられ始めたが、まだ当時は家紋という完成された形での仕様ではなかったという。その後、世の中が落ち着き兵役もなくなったことから旗幟、馬標などは不要となり、したがって紋章は主として格式と威儀を正すために用いることが多くなった。特に貴賤を表す家々の紋として、衣服、調度にその役割が移されてきたのは徳川時代(1603)に入ってからだ。
参勤交代が制度化されてから、諸大名の江戸への往来が頻繁となり、また江戸城への登城などが義務付けられるにしたがい、その苗字を強調する必要が増し、束帯のほかに必ず家紋を表示するのが重要な習わしとなった。これら諸大名の家紋を知ることが当時としては公務上にも、社交上にも大切なことであった。これがため紋章が一段と進歩していった。
太平の世が続く中で、衣服の華美に流れる風潮が強まり、それとともに家紋が装飾用としての要素を高め、従来の苗字の目印として用いてきた家紋を廃して、新たに優美な紋章を作り変える傾向もでてきた。江戸時代にすでに完成された紋形の種類は菊、桐、梅鉢草、三葉葵、茗荷(みょうが)、梶の葉、藤などの植物を文様化したもの、鷹、雀、蛇の目など動物を文様化したもの、さらに天紋、地紋、建造物、器具など、あらゆるものをモチーフとして文様化しており、その数は多岐にわたる。
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梅鉢草 茗荷 梶の葉

こうした洒落化の傾向は大名、旗本にとどまらず庶民の間に流行するにいたっては、しゃれ紋ともいわれ、家紋ではなく、花鳥風月や遊戯具などを自由な発想で文様化するようになっていった。これらは達紋、色つき紋とも呼ばれ、家紋自体を友禅で染めたり、染め抜き紋のまわりに飾りをつけたりと、ますます派手さをましていった。堅苦しい表紋にはない華やかさがある「加賀紋」、絞り染めで子鹿の背の班点に似ているところからついた「鹿の子紋」、相思相愛の男女が、お互いの紋を組み合わせてひとつの紋で表わす「比翼紋」、丸い輪郭の下半分に紋の一部を覗かせた「覗紋」などが生まれ、現在に伝わる多くの紋章の原型が広まっていった。しかし、家系がハッキリしている家では、そういった装飾的要素に流されず、現在でも定まった紋を代々使ってきている。例えば佐々木家は四つ目、渡辺家は三ツ星に一の字、楠家は菊水といったように、その紋所を見ることによって家系をうかがい知ることができる。
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伊達紋(花筏) 加賀紋 鹿の子紋 比翼紋(ききょう)
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覗き沢瀉 四つ目菱 渡辺星 菊水

 
葵の紋
権威ある紋章は、しばしば賜紋の形で皇室から公家や将軍へ、公家から武家へ、武家から家臣へと勲章のようにその功労に対して与えるという取り扱われ方をしてきた。そのため、名誉ある紋は、この賜紋のほか交換や奪取、僭用(身分を越えてもちいること)によって他人に使用される場合もあり、特に菊紋、桐紋にその傾向があった。菊紋も明治維新前には非常に多く用いられており、これらは賜与より、むしろ秘かに僭用した向きが強いという。この僭用行為を天正19年と文禄4年に禁止し、菊桐の紋章乱用を取り締まった。また徳川家の葵紋も享保年間に法令が出て、禁制の紋章となった。ただ葵紋は慶応3年の大政奉還によって権威が失墜したが、これに代わって菊花紋は絶対の権威を持ち、16葉の菊花紋は天皇の専用紋に、皇族が14葉以下の裏菊を用いることになった。
なお、苗字の目印として使われた家紋であるが、1苗字に対して10数種の紋を有している場合があり、これらは譲り受けたか奪取したか、僭用の手段によって得たものが多い。徳川時代の大名で伊達氏7個、山内氏9個、旗本では伊達市3個、徳川紀州家に至っては葵紋の変種で14個にものぼっている。そこでこれらを用途、目的によって区別する必要が出て定紋、替紋とした。
定紋は本紋とも正式紋ともいうもので、主として公式の場合に用いた。徳川時代ではこの定紋を勝手に変えることは許されていなかった。旗や幕に用いていたので武功の紋とも呼んでいた。
替紋は副紋、裏紋、別紋、控紋の名称もあり、非公式の際に使われた。この定紋、替紋の区別は大名の参勤交替が制度化されたときにとられたもので、それが後世にも伝わっていったのである。
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十六復弁菊 十二葉菊 徳川葵 秀吉五三の桐

 紋の種類
紋の種類には陽紋(ひなたもん)、陰紋(かげもん)、中陰紋(なかかげもん)、縫紋とがあり、陽紋は地を薄く染め抜き紋を強調したもので、表紋ともいい正式の場合に用いる。陰紋は、紋の輪郭を白く染め抜いたもので裏紋ともいう。中陰紋は陽紋と陰紋の中間的なもので、陰紋より太く白い線を用いる縫紋は絞の形を刺繍で現したもので、気軽に着る色無地羽織や絵羽織などに1つ紋として用いる。
既製品の羽織やきものには紋を自由に入れられるように白く抜いてあるものもあり、また貼付紋(切付紋ともいう)のように、表地と同質の布に紋を染め抜いたものもあるので、急場の貸衣装などで簡単に利用できる。
なお紋の数と場所であるが、5つ紋が礼服や裾模様に付ける最も格式が高く、正式とされている。背の中央に1つ(背紋)、左右の後ろ袖に1つずつ(袖紋)、前身頃の胸に1つずつ(抱き紋)の計5つ。
3つ紋は背紋と袖紋、1つ紋は背紋となるが、1つ紋と3つ紋は主に羽織、訪問着用として略式の場合気軽に使用される。紋下がりは背紋が断ち切り衿肩明きから7センチ、袖紋が袖山から7.5センチ、抱き紋が肩山ら15センチというのが標準となっている。
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陽紋 中陰紋 陰紋 刺繍紋(縫紋)

 紋章の種類
紋章はその種類4百、数約3千個といわれているが、中でも一番多く用いられているのが桐である。次いで巴、唐花菱、九曜、藤、菊、蝶、蔦、笹、酢漿草(かたばみ)、木瓜(もっこう)、引両、目結、梅、桔梗の順だが、日本紋章学はこれら紋章のモチーフを8部門に区別している。
(1) 天紋・地紋に属するものは、日月、星辰、山、波浪、雲、霞、露などを形どったもので例えば日には日の丸、日足があり、月には三日月、半月があり、星には三星、五星、九曜、十曜の別があるし、また合成による月星、雲に月、菊に水、笹に雪などがある。
(2) 植物を題材とした紋章は一番多く、隠花植物から顕花植物まで、48科93種もある。ヨーロッパの紋章が動物を多く用いているのに対して日本はその逆。国民性の違いがわかる。代表的なものは菊、桐、葵、藤、竜胆(りんどう)、梅、牡丹、桔梗、酢漿草(かたばみ)、茗荷、松、笹、蔦、橘、桜などとなっている。
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竜胆桔梗酢漿草

(3) 比較的少ない動物の紋章では鳥類が首位で、次いで哺乳類、軟体動物の順で、唐獅子、鳳凰、雨竜などの仮想動物もこの中に入る。
(4) 器物に属する紋章は、日常生活に必要なものを含め、神仏具、馬具、武具、家具調度、農漁具、工匠具、楽器具、銭貨、計量具など多くのものがある。
(5) 建造物の紋章には神社仏閣、家屋土工などがあり、千木・堅魚木(ちぎかつおぎ=神社の屋根の装飾木)、五輪塔、鳥居、庵、甃(いしだたみ=石畳)、格子、井桁、追洲流(おうすながし=護岸工事の時の石を詰める籠)などの紋がこれにあたる。
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唐獅子 鳳凰 千木・堅魚木

(6) 文様には実在の物を絵画式に表したものと、幾何学的に直線と曲線で表現したものとがあり、巴、菱、引両、木瓜、目結、輪、亀甲、籠目などがある。
(7) 文字に属する紋章は簡単な字画のものの応用が多く、一文字、大文字、十文字、山、卍などが代表的だ。
(8) その他、以上の各部に属さないものとして餅、団子などの食べ物もある。
上の(1)−(8)までの紋絵は次の項に載せているが、この家系を表す家紋も第2次大戦以後の変革によって重みが薄らいでいった。その大きな影響が家族制度の崩壊であろう。このため家を譲る、家を継ぐという意味も失われて、家紋に対する考え方も実生活から遊離していった。そして現在では和服の装飾的な部分としての取り扱われ方は二次的なものとなっている。