きもの風土記

石垣、久米島、西表、奄美etc。数多くの離島を訪ねたが、総じてその人情にほだされる。今回は八丈・・・楽しみだ。
その昔、江戸幕府は、八丈島に1862名の人々を流罪に処したという。が、これらの流人や土着の人々のしたたかさによって作られた八丈ならではの風俗、習慣、生活様式が生み出され、中でも高床の倉、防風のための玉石垣、勇壮な太鼓ばやし、樫立踊りなど、今なお目にすることができる。そして流人の中には関ヶ原の敗将宇喜多秀家、京都上加茂の社人梅辻規清、八丈実記を著した近藤宮茂なども含まれている。
東京からおよそ290`、八丈富士と三原山の二つの火山が点在するこの島へのアクセスは、羽田よりジェットで45分、船では竹芝桟橋から波を枕の一夜の中にあり、同じ東京都でありながら、亜熱帯植物群を有する暖流黒潮せまる情熱的な別天地である。
面積69.52kuの優れた草木染めの手織物を訪ねてみた。


  
まずもってその特徴を記しておこう。
格子柄、縞柄の絹織物だが、島に自生する植物を使用し、今なお伝統的な方法で染められる糸染にこそ最大の特徴があるといえよう。実にカラフルな美しさを所有していると同時に、落ちついた自然の渋みを持った染め色をかもしだしている。特に鮮やかに輝く黄色の美しさは八丈ならではのものであり、他に類をみない。島で育つコブナグサ(島名・八丈刈安)の葉を乾燥させて使うのだが、15回から20回、繰り返し繰り返し染めるため大変な時間がかかる。この他タブノキ(島名・まだみ)の生皮が使用される樺色系、スダジイ(島名・椎)の乾燥樹皮で染め、さらに泥漬けをする黒色系があり、この3種類を総称して黄八丈と呼んでいる。
くどいようだが黄八丈の生命は、なんといっても糸染にある。鮮やかな黄色を主とする黄八丈、樺色を主とする鳶八丈、通称「黒八」といわれる黒を基調とした黒八丈と、3種類の色を多様な濃淡に染め、それらの糸を組み合わせて驚くほどの柄数を織りなす。このような素晴らしい織物を育んできたのは島特有の自然と風土、加えて良質の染色材料となる草木に恵まれていたからであろう。その中には野生の桑も含まれており、米作に適さない土質ゆえに、島民のやむにやまれぬ副業として養蚕に精を出したことも一因となっている。さらに、本土から遠く離れていたことが、技術的進歩の影響をあまり受けず、昔からの技法を守る要因ともなった。
昭和40年頃まではおよそ50軒の養蚕業者が存在したが、現在では姿を消し、買い付けた糸で糸を染め製織をおこなっている。
私が島を訪れたのは86年。樫立周辺も、組合の建物も、今では変わっているかもしれない。
きもの風土記
玉石垣
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織物の中心樫立地区
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織物組合

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黄八丈   鳶八丈 黒八丈

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手機で織られる鳶八丈 観光民謡踊りにも黄八丈