といわれた桐生は、かつては関東産地の雄として君臨していたが、最近では和装需要の減退とともに生産量は減少している。
桐生産地の起こりは古く、7世紀頃天皇家に仕えていた官女白滝姫が帰郷し、養蚕と機織を村人に伝えたことに始まったとされ、その祀神が白滝神社をして1200年以上も経た現在も、織物の神様として地元業者の信仰を集めている。桐生市の広沢町に存する400年以上続く旧家の彦部家には幕府将軍・足利義輝の侍女から同家にあてた「仁田山紬注文書」所蔵されており、桐生産地か有数の織物産地であったことを推測できる。
一方、新田義貞が上野の国(現群馬県)生品神社で兵を上げた時、出陣の旗として桐生絹を用いたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦にも桐生絹が大量に使用されたと古事記に残されている。さらに、元和元(1615)には幕府への年貢として桐生領54ヶ村から4千8百反の絹が納税されている。これらを見ても同地での機織がいかに盛んであったかことを物語っている。 |
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| 白滝神社 |
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| 白滝姫 |
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| 彦部家 |
紬注文書 |
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