ご存知ですか
藤の蔓(つる)は左巻き右巻き?
藤布を作るのは山に自生する藤の木、いわゆる山藤の蔓を使用する。その蔓は他の木などに左巻きに巻き付く。それに対して藤棚などで花を咲かす藤は、右巻きに巻き付く。面白いですねェ。藤布

四月一日って何と読むのでしょう?
「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む。珍しい姓だ。由来は江戸時代にさかのぼる。公家や武家社会では、わずらわしい更衣(衣替え)のしきたりが厳格に守られていた。庶民の間にもそれなりの習慣があり、そこから外れることは恥だった。
春の衣替えは旧暦の四月一日。綿入れのきものから袷(あわせ)に替えたため、四月一日を「わたぬき」と読むようになり「綿貫」という姓の別の表現になったという。

もぬけの殻
蛻(もぬ)けは、身ぬけのこと。
突然訪れた光源氏に驚いた女性が、部屋のふすまが開く前にいなくなった。部屋には着たままの形で一気に、しかもすっぽりと脱ぎ残された十二単があった。その形の鮮やかさがもぬけの殻の語源となった。
十二単は12枚とは決まってはいないが、重ね着を紐1本で留めている。
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ「空蝉」のあらすじは、=光源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去り、心ならずも後に残された軒端荻と契った源氏は、その薄衣を代わりに持ち帰った。源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送り、空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた=というものだ。

鹿島錦って?
経糸に和紙、緯糸に絹を使用して織り込んだ佐賀県鹿島市の工芸品。約200年前に鹿島鍋島藩主夫人が考案した。帯締めやバッグ、印鑑入れなど実用品が中心。1968年に鹿島錦保存会が結成されたが、現在はメンバーの大半が60代以上で若い世代への継承が課題となっている。

青花紙は友禅の下書き用の染料
青花紙とは、オオボウシバナ(ツユクサ科)の絞り汁を良質のコウゾ繊維を原料ととして薄くすいた和紙に浸み込ませたもので、搾り汁が水で洗い落とせるため、京友禅の絵柄の下書きに用いられてきた。江戸時代初期から主に滋賀県草津市で生産されてきた青花紙の友禅での使用法は、使う分だけ切って水を数滴垂らし、汁を溶かして絵の具のように使うのだが、ご存知でしたか?


 家蚕と天蚕(野蚕)の違い
根本的に異なるのは、餌になる葉の食(ハ)み方です。家蚕は、敷き詰められた桑の葉の上に乗り食みますが、天蚕は、クヌギの木の葉の裏側ににぶらさがって(はりついて)食みます。したがって天蚕は、クヌギの木に葉が無くなると、地面をはって隣の木に移動します。

カイコの語源
野生の蚕(カイコ)を野蚕(やさん)と呼ぶのに対して、生糸生産のため改良を重ね、家の中で飼い繭を作らせるための蚕を家蚕(かさん)と呼んでいる。
カイコ(家蚕)は「飼う子」という言葉から由来し、今から6000年以上前に、人間がある昆虫を飼育しやすく改良したもので、家蚕のルーツ。これを桑蚕(クワコ)と呼び、現在も桑の木にひっそりと生きている。

相楽木綿(さがなかもめん)
明治から昭和10年代にかけて、京都府木津川市相楽地区を中心に相楽木綿と呼ばれた木綿織物が盛んに織られていました。相楽木綿には、無地、縞、絣といずれの柄もありますが、色糸と絣の多様使いが特徴です。中でも色糸の縞と絣を組み合わせたはなやかなものは、相楽木綿を代表する柄と考えられます。また、風合いのよい布が織れるといわれる大和機(やまとばた)や、その改良機で織る際の音が、チョコンチョコンと聞こえることから名づけられたチョコン機で織られた手織り木綿は、味わいのある風合いをかもし出しています。

なぜ十二単(ひとえ)と呼ぶのか
平産時代女性貴族の正装である十二単。実際は12枚衣を重ねるわけではない。では何故十二単と呼ぶのか。その重さはやく18キロあり、十二分に着ていると意味から名付けられたということだそうです。

ゆかたの日
7月7日は「ゆかたの日」。七夕とは棚機(たなばた)のことで、織女の和名が棚機津女(つめ)であることからきている。
古来中国は、この日に衣服を縫って祖霊に備えたと同時に、七夕の行事として裁縫の上達を祈り、衣類に感謝してきた。この故事にならって日本ゆかた連合会が81年に制定したもの。ただし、大阪府柏原市は、独自に8月の第1土曜日を「ゆかたの日」としている。

大島紬は紬ではない
紬とはもともと屑繭が原料になっている。
その昔、正繭は商品として出荷し、残った繭は屑繭として真綿にし、その真綿から手紡ぎで糸を引き自家用に織っていた。結城紬にしろ、日本の紬はこうであった。しかし、鹿児島で織られる大島紬は真綿から紡いだ糸ではない。れっきとした絹糸だ。同じ先染めではあるが、厳密に言えば大島紬は絹織物なのだ。

久留米絣の括り
各織物産地では、絣の柄を作るために、染料が染みこまないように糸を括るが、大方は綿糸やゴムなどを使用している。が、久留米絣は括りに荒麻皮と呼ばれる麻の皮を用いる。これで括ることで、早く正確に千変万化の柄を浮き出させることができるのだという。

勘太郎月夜唄
昭和18年、長谷川一夫主演の「伊那の勘太郎」という映画がヒットし、その主題歌で小畑実が歌った「勘太郎月夜唄」も大ヒットした。そのこと自体「知らね〜よ」とおっしゃるでしょうが、その歌詞は次のようなものでした。
       影か柳か 勘太郎さんか   
       伊那は七谷 糸ひく煙り   
       棄てて別れた 
       故郷の月に   
       偲ぶ今宵の ほととぎす

2行目の「糸ひく煙り」とあるのは、お蚕どころの信州で、養蚕農家が座繰りで糸を引いていた様子が歌詞になったものでしょう。

織物神社
新潟県は塩沢紬の産地である魚沼盆地に織物神社(名前は失念)があり、そこの祠には格子超しに数多くの絣の裂地が収めてあった。説明では、昔この地の女性は機織技術が嫁入りの必須であった。そのため技術向上を仏神に願い、裂地を供えたという。

アロハシャツ
アロハシャツの基は、日本のきものにあります。カメハメハ大王の時代、ハワイに移民として渡った日本人が、暑い気候に合わすため、きものをシャツに作り変えたことに端を発します。

優佳良織の素材
木内綾さんによって出生した優佳良織、以前はユーカラ織と呼ばれていました。その言葉からも、私自身優佳良織に出会うまではユーカリの木の表皮を使用した植物繊維とカン違いをしていました。実は緬羊、そうウールなのです。

泥染め
大島紬の染めの行程に泥染めというのがあります。これは文字通り泥田につけるわけですが、その昔大変高価であった絹糸を何故泥の田んぼにつけたのでしょうか。一説によりますと、当時の厳しい人頭税を逃れるために、高価な絹糸を泥田に隠したところ、泥田の鉄分がうまく絹糸にからんだことが一因だとされています。

芭蕉布
沖縄県喜如嘉で産出されるのが芭蕉布ですが、その素材は文字通り芭蕉の木の表皮です。で、民家の庭に植えられている芭蕉でもできるのか、と言われれば否です。芭蕉の木にも種類があり、各地の民家の庭に見られるのは殆どが花芭蕉です。そして、バナナなどの実をつけるのが実芭蕉で、芭蕉布の素材となるのは糸芭蕉と呼ばれる種類です。

網織
滋賀県長浜などで織られていますが、昔は魚網も絹糸で作られており、絹の高価さから使い古された魚網を適当に切り、増量のため織物の1分に使用していたのです。切って織り込まれているためところどころからひげのように魚網糸の先端が出ているため、ひげ紬とも呼ばれています。

半夏(はんげ)ひとつ咲き
山形県最上地方に植物染材として有名な紅花があります。この花が不思議な習性を有しているのです。それが「半夏ひとつ咲き」です。半夏というのは夏至より11日目の日を指し、この頃に作付け面積の大小を問わず、必ず1集団にひとつの花が咲きます。咲く前の先兵として、季節を偵察するのか、不思議な現象です。

藍染の不思議
皆様もご存知の日本ブルーの藍染め。普通の染料は、それが化学染料であれ草木染料であれ、糸の中へと染料は入っていきます、しみこんでいきます。が、藍はそうではありません。藍は付着染料なのです。糸の表面に染料がくっつくだけで糸の中には入らないのです。そのため、何度も何度も時間を開けて上塗りするように浸染しなければならないのです。藍独特の「色落ちしながら風合いを出す」のはそこに原因があります。

終という字の意味
その昔、新潟や石川などの豪雪地帯では、長い冬の間の仕事は糸を紡ぐことでした。そしてそれは女性の仕事でした。豪雪のため他にすることはなく、女性たちは一心不乱に長い冬を糸を紡ぐことによって生活の糧を生み出していたのです。ナガーイ「冬」に「糸」が紡げたころ冬が終るのです。糸辺に冬、すなわち「終」はここからきたのです。

十三参り
これは今でいうところの成人式にあたります。昔は数えの13歳になると、大人のきものを着て厄除けのため神社を参拝していました。ことのおこりは公家の元服らしいのですが、京都虚空蔵法輪寺への参拝が始まりとされており、当初はこの寺だけで行われていたのですが、江戸時代の呉服商が、商い増強のために動いたのが全国に広がったといわれています。バレンタインデーのチョコと同じですね。

ぜんまい織
山野辺にぜんまいというのが植えています。そうです、山菜です。先っぽがクルリと巻いたやつです。よーく見ていただくとクルリと巻いた穂先に真綿のような産毛があります。その産毛を摘み、紡いで織ったものがぜんまい織りです。水のはじきが良いので雨コートなどに使われます。

型紙製作の技術
染めの型紙、今は化学紙などもありますが、ここでは三重県の鈴鹿などで作られている和紙の型紙のことです。1枚約1メートル四方の和紙と想像してください。立てかけた2a厚の板にハケで糊を塗りまず1枚をタテ向けに貼りつけます。そしてその和紙にまた糊を塗り、2枚目はヨコ向けに貼ります。次にはタテ向け、次にはヨコ向けと何枚も張り合わせます。和紙のベニヤ板です。何が凄いかというと糊をつけ貼りあわせるそのスピード、しかも角々は寸分の違いも無く合わされておりシワひとつありません。余談ですが車のウインドウにフイルムを貼りますが、この職人さんに頼めばなんて思ってしまいます。


藍といえば徳島、そして独特の紺色ですが、藍は紺色だけではないのです。薄い赤や黄色などの色も持っています。その証拠に徳島市にいくつかある藍染め会館に藍で描かれた絵が飾られている。

男の羽織
女性の羽織の場合はもともとおしゃれとして、あるいは防寒用として着られていた。だから女性の正装は羽織を着ない。が、男性の羽織の場合はスーツだと考えてください。クロークに預けて宴会場へなんてのは駄目ですよ。

ぜんまい織U
上記のぜんまい織の続きです。山野辺に生えるぜんまいの穂先の真綿が素材と説明していますが、生息場所の土壌や環境で真綿の色も様々です。色々の所から集めたぜんまいの真綿で製織すると、想像はつくと思いますが、まだらな生地ができあがります。趣味的にはいいのかもしれませんが、商品的にはやはり価値がありません。そこで、織り手は農家に栽培を依頼しているそうです。面白いのは、穂先以外は、出荷するなり自家の佃煮にするなり、自由になっているとか。
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