ご存知ですか
着物警察
街中や化粧室で「いきなり襟や袖を引っ張って呼び止められ、“裄が足りてない、だらしがないねえ”と説教をされた」。こういった着姿を注意する人のことを「着物警察」と呼び、一種のハラスメントととらえ、着物離れに通ずると考える人など、マイナスにとらえる人が多いようだ。中には感謝する人も・・・。
夏には「ゆかた警察」言われたり、「お直しババア」と皮肉たっぷりの固有名詞があるくらい問題になっています。

白い紅花
米沢市赤崩地区で草木染織に取り組んでいる山岸幸一さん(71)が染料として栽培している紅花畑が米沢市赤崩地区にある。
白い紅花「保光の」誕生は約20年前、山岸さんが畑で3株だけ白い花を咲かせていた紅花を見つけたのがきっかけ。その後、種を採取して大切に増やしてきた。2006年には品種登録され、現在は330平方㍍の畑で約1千株を栽培している。花に色素が回っていないため、染料としては葉を使う。

西勝ちりめん
西勝さいしょうちりめん」は、滋賀県長浜産地でで織られていたものだ。であれば、浜ちりめんなのだが、何故西勝と呼ばれたのかには2説ある。いずれにせよ「京都の西陣に勝ったちりめん」ということが命名の因となっているようだ。
1つは、1反当たりの生地の重さや幅、使う縦糸の量、「しぼ」の風合いなど、製品的に西陣に勝ったことを原因としており、どうやら薄手の商品に使われていたようだ。
もう1つは、歴史の中で浜ちりめんは琵琶湖を通って京でも販売されるようになった。京の業者達は「自分たちの営業を妨げるもの」として京都町奉行に訴え出たため、京での販売を禁じられてしまう。村人の嘆願や領主である彦根藩からの働きもあり4年後、『浜ちりめん』の京での販売が認められることになった。諸事情があったにせよこの時西陣に勝ったことから、自分たちのちりめんを『西勝ちりめん』と呼んだ。

藤の蔓(つる)は左巻き右巻き?
藤布を作るのは山に自生する藤の木、いわゆる山藤の蔓を使用する。その蔓は他の木などに左巻きに巻き付く。それに対して藤棚などで花を咲かす藤は、右巻きに巻き付く。面白いですねェ。藤布
四月一日って何と読むのでしょう?
「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む。珍しい姓だ。由来は江戸時代にさかのぼる。公家や武家社会では、わずらわしい更衣(衣替え)のしきたりが厳格に守られていた。庶民の間にもそれなりの習慣があり、そこから外れることは恥だった。
春の衣替えは旧暦の四月一日。綿入れのきものから袷(あわせ)に替えたため、四月一日を「わたぬき」と読むようになり「綿貫」という姓の別の表現になったという。

もぬけの殻
蛻(もぬ)けは、身ぬけのこと。
突然訪れた光源氏に驚いた女性が、部屋のふすまが開く前にいなくなった。部屋には着たままの形で一気に、しかもすっぽりと脱ぎ残された十二単があった。その形の鮮やかさがもぬけの殻の語源となった。
十二単は12枚とは決まってはいないが、重ね着を紐1本で留めている。
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ「空蝉」のあらすじは、=光源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去り、心ならずも後に残された軒端荻と契った源氏は、その薄衣を代わりに持ち帰った。源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送り、空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた=というものだ。

鹿島錦って?
経糸に和紙、緯糸に絹を使用して織り込んだ佐賀県鹿島市の工芸品。約200年前に鹿島鍋島藩主夫人が考案した。帯締めやバッグ、印鑑入れなど実用品が中心。1968年に鹿島錦保存会が結成されたが、現在はメンバーの大半が60代以上で若い世代への継承が課題となっている。
青花紙は友禅の下書き用の染料
青花紙とは、オオボウシバナ(ツユクサ科)の絞り汁を良質のコウゾ繊維を原料ととして薄くすいた和紙に浸み込ませたもので、搾り汁が水で洗い落とせるため、京友禅の絵柄の下書きに用いられてきた。江戸時代初期から主に滋賀県草津市で生産されてきた青花紙の友禅での使用法は、使う分だけ切って水を数滴垂らし、汁を溶かして絵の具のように使うのだが、ご存知でしたか?

家蚕と天蚕(野蚕)の違い
根本的に異なるのは、餌になる葉の食(ハ)み方です。家蚕は、敷き詰められた桑の葉の上に乗り食みますが、天蚕は、クヌギの木の葉の裏側ににぶらさがって(はりついて)食みます。したがって天蚕は、クヌギの木に葉が無くなると、地面をはって隣の木に移動します。
カイコの語源
野生の蚕(カイコ)を野蚕(やさん)と呼ぶのに対して、生糸生産のため改良を重ね、家の中で飼い繭を作らせるための蚕を家蚕(かさん)と呼んでいる。
カイコ(家蚕)は「飼う子」という言葉から由来し、今から6000年以上前に、人間がある昆虫を飼育しやすく改良したもので、家蚕のルーツ。これを桑蚕(クワコ)と呼び、現在も桑の木にひっそりと生きている。

相楽木綿(さがなかもめん)
明治から昭和10年代にかけて、京都府木津川市相楽地区を中心に相楽木綿と呼ばれた木綿織物が盛んに織られていました。相楽木綿には、無地、縞、絣といずれの柄もありますが、色糸と絣の多様使いが特徴です。中でも色糸の縞と絣を組み合わせたはなやかなものは、相楽木綿を代表する柄と考えられます。また、風合いのよい布が織れるといわれる大和機(やまとばた)や、その改良機で織る際の音が、チョコンチョコンと聞こえることから名づけられたチョコン機で織られた手織り木綿は、味わいのある風合いをかもし出しています。

なぜ十二単(ひとえ)と呼ぶのか
平産時代女性貴族の正装である十二単。実際は12枚衣を重ねるわけではない。では何故十二単と呼ぶのか。その重さはやく18キロあり、十二分に着ていると意味から名付けられたということだそうです。
ゆかたの日
7月7日は「ゆかたの日」。七夕とは棚機(たなばた)のことで、織女の和名が棚機津女(つめ)であることからきている。
古来中国は、この日に衣服を縫って祖霊に備えたと同時に、七夕の行事として裁縫の上達を祈り、衣類に感謝してきた。この故事にならって日本ゆかた連合会が81年に制定したもの。ただし、大阪府柏原市は、独自に8月の第1土曜日を「ゆかたの日」としている。

大島紬は紬ではない
紬とはもともと屑繭が原料になっている。
その昔、正繭は商品として出荷し、残った繭は屑繭として真綿にし、その真綿から手紡ぎで糸を引き自家用に織っていた。結城紬にしろ、日本の紬はこうであった。しかし、鹿児島で織られる大島紬は真綿から紡いだ糸ではない。れっきとした絹糸だ。同じ先染めではあるが、厳密に言えば大島紬は絹織物なのだ。

久留米絣の括り
各織物産地では、絣の柄を作るために、染料が染みこまないように糸を括るが、大方は綿糸やゴムなどを使用している。が、久留米絣は括りに荒麻皮と呼ばれる麻の皮を用いる。これで括ることで、早く正確に千変万化の柄を浮き出させることができるのだという。
勘太郎月夜唄
昭和18年、長谷川一夫主演の「伊那の勘太郎」という映画がヒットし、その主題歌で小畑実が歌った「勘太郎月夜唄」も大ヒットした。そのこと自体「知らね~よ」とおっしゃるでしょうが、その歌詞は次のようなものでした。
       影か柳か 勘太郎さんか   
       伊那は七谷 糸ひく煙り   
       棄てて別れた 
       故郷の月に   
       偲ぶ今宵の ほととぎす

2行目の「糸ひく煙り」とあるのは、お蚕どころの信州で、養蚕農家が座繰りで糸を引いていた様子が歌詞になったものでしょう。
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