2004年7月、熊野古道を含む紀伊山地の霊場と参拝道が、ユネスコの世界遺産に登録された。
このことをきっかけとして1990年に「天台烏薬(てんだいうやく)」という薬木で染めを試みた男を取材したのを思いだしここに再書してみた。

きもの風土記 きもの風土記
黒潮洗う熊野灘は海外からの渡来者伝説がある 御幸道と呼ばれた熊野古道

大阪から4時間余、名古屋から4時間。内陸からの進入を拒むかのようにそびえる鈴鹿山脈や大峰の深山を避けて列車は海沿いを走る。紀伊半島南東部に位置する熊野は、今なお僻遠の感がする。


   

熊野には台10代天皇崇神(すじん)の時代の昔から、本宮、速玉、那智の3大社、いわゆる熊野三山が存し、神々の国と崇められていた。深山幽谷の地ゆえか仏教が浸透してきたのは奈良時代に入ってからのことであり、この頃から修験者を先達に神仏習合の聖地として巡礼する人々が増えてきたのだが、最も盛んであったのは平安時代から鎌倉時代にかけてであった。
延喜7年(907)の宇多法皇ご参拝に始まり、100度に及んだと謂われる歴代上皇の熊野御幸をはじめ、喜賎の上下を問うことなく参詣する人は後を絶たなかったという。世に言う熊野詣でだ。しかしその道程は尋常ではなく、京都からの往復668`余は1カ月に及んだ。
その名残は熊の古道として保存されているの苔むした石段に残っており、この険しい山絽を歩いてみると、当事の旅がいかに困難であったか、それを克服させた信仰の篤さがいかほどであったかうかがい知ることができる。
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神仏習合の那智大社から見た青岸渡寺
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素戔鳴尊(すさのおのみこと)を主神とする本宮
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古神器の収蔵で著名な新宮