きもの風土記 きもの風土記
元文元年建立の徐福の墓 新宮市長室にある徐福像
一方、熊野には3大社より古い歴史を持つ徐福渡来の伝説がある。
中国大陸を平定した秦の始皇帝に仕えていた徐福は、その命により東方海上の3神山にあるという不老不死の霊薬を求め船出した。日本各地を転々としながら熊野にたどりついた徐福は、この地で霊薬「天台烏薬」を発見したと伝えられている。今から2200年ほど前のことである。
その後徐福は、熊野の温暖な気候、恵まれた自然、さらには人々の情に触れ天台烏薬を中国に持ち帰ること
なく熊野を永住の地とした。土地を開き、漁法、捕鯨
など多くの技術を教えるなど、様々な大陸文化をこの地に残した。しかし、熊野で生まれ育まれたはずの多くの技術、例えばカツオの1本釣りや漆塗りなど、土佐であるいは輪島では見られるが、何故この地では伝承されてこなかったのだろうか。摩訶不思議ではあるがおそらく、温暖な気候に恵まれた熊野人の「まあええのに」という気質が総てを物語っているような気がする。
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11月中旬に実をつける天台烏薬の木 実のリキュール
  
  

挑戦したのは京都の染め人奥田祐斎。詳しいプロフィールは省くが熊野を生誕の地に持つ祐斎は、幼い頃祖父から熊野の歴史文化についていろいろ聞かされていたことも手伝って、「歴史と伝統の内に秘められたロマン」、「自然に生殖する草木への興味」などが漠然と脳裏に残っていた。熊野の山々には神々が棲む、数多くの伝説もある、速玉大社に存する数多くの国宝、「この胸躍るロマンをきもの上に表現したい」。素材として徐福伝説に帰来する天台烏薬を選び挑戦を始めた。6年前のことである。

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天台烏薬の実   天台烏薬の上品な紫 国宝の桧扇

きもの風土記 葉を使い根を使い染色に入るも天台烏薬にイメージした黄金色もしくは紫色がでない。堅牢度も心配だ。工房に寝袋を持ち込んだこともある紆余曲折の5年間。「無理だ、できない」と諦めかけた時、再度新宮を訪れる機会を得た。なんと実をつけている天台烏薬の木に出会ったのだ。この木にオスとメスがあることも知った。
語り継がれた古来3千年の歴史ロマンを、幼い頃耳にした徐福と天台烏薬を通じてきものの上に表現してみせた。写真は中国へ寄贈された烏薬染の内掛け。
その他、熊野古代染と名付けて速玉大社の国宝をモチーフにした作品や、本宮のご神木イチイガシを染材としての作品も創作している。