黄金の繭との出会い
1994年、大戦中にジャワ島に赴任していたことのある元京都府知事の林田悠起夫氏より、「京都府と姉妹関係にあるジョグジャカルタ州の経済活性化に協力してほしい」との依頼が、京都の西陣のメーカーに持ち込まれた。両国の交流を深めるためにも野蚕糸(主にヨナクニサン)とその製品開発に乗り出す一方で、95年には、王室より10世のスリ・サルタン・ハメンク・ブォノ王の夫人・ミセスサルタン が西陣を訪問し、「世界1の山繭の産出を目指したい」との言葉を受け相、互の協力を約束、プロジェクトは動きはじめる。
こうした交流の中で、日本スタッフがクリキュラが作る美しい繭に出会う。肉眼にはまるで金加工を施したように見えるこの繭に魅せられたのは確かだが、自然のものだけでは効率が悪いと同時に、飼育においても成長の速度がそれぞれのため不揃いがでる。また、糸に紡げるのか、織物になるのか、劣化度は・・・。96年、メーカーを中心にして、アカデミックには国産野蚕学会の応援を得ながら、試行錯誤の研究開発が進む。
一方、ジョグジャでも、火種として使用しているクリキュラの繭の研究が進められた。製品化、商品化するとなれば、天然物だけでは絶対量が足らず、ひいては自然環境保護の意味からも人工的に生産する必要がある。
3万5千人が学ぶガジャマ・マダ大学では、昆虫生物学博士のジェンスマント・シトゥモラング氏が話す。「クリキュラの繭が光るのは特別のDNAがあってだと思うが今のところ判らない」。また「クリキュラは、果樹を中心に何種類かの植物を食む。しかしアボガドの繭は暗い金色だが、ドンドンの木では鮮やかな金色でしかも大きな繭を作る」と。
教授は、研究室でクリキュラを人工的に飼育し、繭生産に必要な種を作り出すと同時に、10月から3月迄が雨期、残りの半年は乾季という気候をうまく利用し、ドンドンの幼木を植樹。その後を農民に託すという方法で5年後を見据えた計画をたてた。
一方、西陣のメーカーでも富士山に似たメラピ山の麓、標高2000bの町パリウランに加工工場を建設、地元経済活性化を意図して選繭をしたり、シート状に貼り合わせたり、手紡糸をひいたりと黄金の繭作戦を展開。経済効率を見据えながら着々と押し進められていった。
きもの風土記
ドンドンの木 
きもの風土記
ドンドンの果実
きもの風土記
ヨナクニサンの繭と糸
きもの風土記
現地の女性による糸紡ぎ
きもの風土記
黄金の繭からシートまで

製品
1年後、進行中のものも含め数多くのハードルをクリアしながら黄金の繭を種々の模様に裁断細切し、訪問着に加工を、袋帯に織り込むなど、一層の高級感を高めるのに成功している。ただ難点もある。先述したように、繭をアプリケ風にあしらった帯やきものは、実に重厚感をもって我々の目に触れる。しかし、この繭から紡がれた糸で織られたものは無い。何故ならば、紡がれた糸は繭から発する光沢とは極端に劣化するからだ。いつの日か繭と同じ黄金色で織られた織物を見てみたいものだ。

クリキュラを取材したのは97年。07年には友好提携20周年を迎えるなど、今も交流事業は両都市の伝統技術を融合し、互いの繊維産業活性化のために切磋琢磨が続けられている。

きもの風土記
シートを糸状に細切したもの
きもの風土記
黄金を織り込み中の袋帯

きもの風土記 きもの風土記 きもの風土記 きもの風土記
メラピ山
きもの風土記
  アップリケ風に裁断して貼り付けるまで