きもの風土記きもの風土記

琉球紅型

15世紀に始まる南の島独特の神秘的な染め物は、王朝貴族のみが着用していたが、交易品としても貴重な存在であった。長い歴史と風土
に培われ、暮らしの中に生きてきた紅型も、衰退の危機に見舞われることもしばしばあった。中でも型紙などを含め、資料、材料も戦火に奪われた沖縄戦後の再興は至難の技であった。米軍使用のハトロン紙を型紙に、糊を絞る袋の口金には薬莢と、文字通り使えるものは顔料の変わりにレンガをも使うというほどの困難を呈した。しかし、「伝統を守ろう」というわずかに残った紅型師の熱意と信念は、やがて沖縄の伝統文化としての位置づけを確固たるものとしていく。
那覇市を中心に点在する紅型工房のうち、城間紅型研究所を訪ねてみた。戦後の再興に人一倍努力を重ねてきた故城間栄喜氏の子息、城間栄順さんが迎えてくれた。父の伝統に対する思い入れ信念、すなわち「あくまで伝統を重んじながら時代にあったものを造りたい」を受け継いでいる紅型師だ。時代にあわすために取り入れた顔料と染料の組み合わせへの研究もそのひとつであり、常に2−3年先を読みたいという。「大事なのは色つけする時で、方言にティーベークチュラク(手早美)という言葉があるが、手早く美しくリズムよくやれという意味で、先人の教えはすばらしい」と栄順さんは話す。工房では数人の若い女性が楽しそうに筆をはこんでいた。



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沖縄の織物

沖縄の織物は九州の南から台湾まで、本島を中心に弧状に点綴する島々に分存し、異色な存在として市場性を高めている。その歴史は500年続いた尚王家の服制にそって発達してきたのは無論のことであるが、土地別に特色があったこともその一因であろう。すなわち都であった首里の織物を中心に読谷よみたんの花織や南風原はえばるの琉球絣、喜如嘉きじょかの芭蕉布があり離島には久米島の紬、宮古の紺上布、予那国、石垣の麻織物といったぐあいである。沖縄の織物には絣柄に特徴があるが、これは諸取切むるとっちりーと称する総絣を上位とし、全て王家一門の婦人用であり、TPOによって絣柄を着わけたことに起因している。素材も絹、麻、芭蕉、木綿と多岐にわたり、それぞれが単純な紺絣から複雑な経緯色絣まで広範囲に発展していった。そして慶長時代には薩摩を通して海路越後に、陸路久留米にと日本の絣の原形となった。
沖縄の染織は中国や南方の異質文化の匂いを持つだけでなく、手工芸に頼る希少価値の高い伝統製品であるが故、評価を得てきたのであろう。いつまでもその原点を忘れずに伝統を守っていって欲しいものだ。

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