師走の高台寺(京都市東山区)。「着物は日本文化の代表。ぜひ京都で着たいと思っていた。鮮やかな着物でたくさん名所を回りたい」。中国・上海から初めて日本を訪れた袁孜明ユアンツミンさん(29)は、近くの着物レンタル店で友人と楽しげに品定めした。
着物や浴衣姿でまち歩き――。今や京都では珍しくない光景になった。
その多くは観光客。古都の旅の思い出に、ちょっとした“変身”を楽しむ。そんなスタイルがブームだ。支えるのは、急増する着物レンタル店の存在だ。現在、京都市内に200店あるともいわれ、外国人スタッフが常駐し、団体客がバスで目の前に乗りつける店もある。


  
レンタル着物は化学繊維 それでも・・・・

10年前に祇園で開業し、今は市内に4店を構える「きものレンタル夢京都」の店長・百々博之さん(37)は言う。「店を一歩出れば歴史ある街並み。日本でも京都だからこそ、着物姿が似合う。まだまだ需要は伸びそうです」。
「『着物は日本の文化』というのを、外国人から教えてもらったようなもの」。西陣織工業組合専務理事の辻本泰弘さん(69)は笑う。
着物レンタルのブームは、急増する外国人観光客が火を付け、それが日本人に逆伝播でんぱした格好だ。
だが、底流には辻本さんら和装関係者の取り組みがあった。辻本さんは元府職員。実家は京友禅の染色業者だったが倒産し、民間企業に就職した。ただ、家業を継げなかった分、和装への思いは強く、交通事故で入院中にラジオで聞いた府の職員募集に応募。染織・工芸課長や商工部長など、公務員として34年のうち22年を「糸へん」の仕事に携わった。
生活スタイルの変化などで、1970年頃をピークに和装産業は低迷。打開の糸口がつかめない中、生産や流通などの業界団体に行政も加わり、92年には「京都和装産業振興財団」が設立された。「和装は、茶や生け花、能など京都文化の源泉。『和装産業の衰退は京都の危機』との思いは共通だった」と辻本さんは語る。
各団体はそれまでもPRイベントや、各地の学校への着物贈呈事業なども実施していた。だが「もっと大々的に」と、財団が94年度に始めたのが、着物レンタル事業だった。
狙いは「実際に着てもらう」仕組み作り。着物の良さを体感してもらうことで、着物ファンの裾野を広げようと考えた。
修学旅行生らに着物体験をしてもらう「きもの修学旅行」、観光客が利用しやすいよう京都駅ビルに設けた「きものステーション」、着物姿なら割引やサービスが受けられる「京都きものパスポート」の発行・・・。街行く着物姿は、視覚にも訴えかける。地道な取り組みだったが、和ブームやインバウンドの急増が追い風となり、今のブームにつながった。「ようやくいい方向に向き始めた」。辻本さんは手応えを語る。
が、ブームとなっっているレンタル着物だが、多くは化学繊維。西陣織、紬産地、丹後や長浜などの売り上げには直結していない。それでも、京都織物卸商業組合理事長の野瀬兼治郎さん(63)は「着物を着るムードが広がるのは大歓迎。もっと周りを巻き込み、ハロウィーンの盛り上がりを超えたい」と意気込、前向きだ。


  次の仕掛けで
 つながれ絹織物産地に
次の仕掛けは「着物で参加」する機会の創造だ。きものの日の昨年11月15日、京都国際マンガミュージアム(中京区)では、着物姿の約300人が芝生で食事や音楽を楽しんだ。今年の成人の日は、西陣織会館の「きものショー」にモデルとして出演できるイベントを開くなど、毎月、参加型のイベントを開催する計画だ。
「着物で参加できる魅力的な場がたくさんあれば、着物が『ハレの日用』でなく、日常になっていく。消費にもつながるはず」と辻本さんは言う。和装文化の復活に向け、新たな挑戦が始まっている。
観光地でのきもの姿は目を見張るほど多いし、成人式も振り袖が満開だった。着物を着る機会を増やす努力は成功しているように思うが、2017、絹織物の産地につながることを期待したい。