かつて、工場の象徴だったのこぎり型の屋根。趣のある木造の建物の中に入ると大小100台ほどの織機が並び、大きな音が重なり合う。「カタ、カタ、カタ」「カタン、カタン、カタン」。だが、半数以上が動いていない。それは織物業界の盛衰をうかがわせ、日本の産業史が凝縮されたような光景に見えた。
徳島市国府町和田にある長尾織布。創業は1897(明治30)年。「戦後に継ぎ足ししているが、古いところは明治時代に建てたやつだろうなあ。織機も戦前のものも使っているなあ」。3代目、長尾藤太郎さん(80)の言葉が歴史を感じさせる。

   風合いが シボが
こだわりの商品開発
のこぎり屋根を見ると地面に垂直になっているのは北側で、そこに窓がある。北側から差し込む光の方が強さが一定で、織物の色合いを確認しやすいのが理由だそうだ。
そんな屋根の下で製造しているのは、徳島特産の「阿波しじら織」。「シボ」と呼ばれる凸凹があるのが特徴で、肌触りや風通しが良く、主に夏物衣料として人気を集める。藍染の糸を使用したものは「阿波正藍しじら織」と呼ばれ、県の無形文化財、国の伝統的工芸品にそれぞれ指定されている。
国府町和田地区は、鮎喰川の伏流水によって良質で豊富な地下水が得られ、古くから染織業が盛んだった。このため、今も阿波しじら織を手掛ける長尾織布、岡本織布工場、加藤織布の県内全業者が同地区に集まっている。
阿波しじら織が生まれたのは江戸末期のこと。安宅村(現徳島市安宅)の織り子・海部花(1831〜1919年)が干していた縞の織物がにわか雨でずぶぬれになった。その後、強い日差しで乾いた時、表面がところどころ縮んでいた。
海部はこれをヒントに工夫を重ね、縮み縞の織物を作ることに成功。東新町の太物商・安倍重兵衛(1834〜1903年)が、阿波しじら織と名付けたとされる。
当時飛ぶように売れ、明治末期には県内に200軒を超える機屋があったという。
シボは糸の張力差によってできる。一般的な平織りは、縦糸と横糸を1本ずつ交互に浮き沈みさせて織り込んでいくが、しじら織はその組み合わせを変えることでシボを浮かび上がらせる。
今では他産地や中国の製品も多く出回るが、岡本織布工場の岡本政和さん(71)は「他とは風合いが違う」、加藤織布の加藤満壽美さん(63)も「よその産地のものは、シボがきれいに出ていない」と話す。2008年には阿波しじら織を地域ブランドに登録し、差別化を図っている。
生産量は昭和30〜40年代の3分の1程度に減った。きものやゆかたを着る人が少なくなり、シャツなども安価な中国製などに押されている。
そうした中、好機ととらえているのが「クールビズ」だ。国府町商工会と阿波しじら織協同組合は本年度、阿波しじら織を使った女性用クールビズのデザインコンテストを開催。最終審査を行い、最優秀作品などを商品化する。
「高くてもいいものをというこだわり志向の消費者も増えている。そんなニーズに応える商品開発をしていきたい」。長尾織布の4代目で、昨年6月に社長に就任した長尾伊太郎さん(49)は意欲を見せる。
江戸、明治、大正、昭和、平成と受け継がれてきた阿波しじら織。伝統工芸を守るための挑戦が続く。阿波藍