京都・西陣織の機織りで、経(たて)糸に対し、垂直の方向に緯(よこ)糸を通すのに使う木製道具「杼(ひ)」を作る職人がめっきり減り、西陣地区の課題の一つとなっている。西陣織工業組合(京都)によると、京都府内で今も現役で杼作りに取り組んでいるのは上京区に住む長谷川淳一さん(79)一人という。長谷川さんは「伝統織物を支える縁の下の力持ちとして、生涯現役で頑張りたい」と話す。

  
杼を必要とする人が 丹後にも 八丈にも 海外にも
きもの風土記
杼は、長細い舟のような形をしており、通常は30センチ程度、長いものでは70センチ程度のものもある。中央付近が空洞になっていて軸となる棒に糸を巻き付けて、機織りで使用する。アカガシの木を長年、蔵で寝かして乾燥させた後、ノミやヤスリを使って一つずつ手作りする。
長谷川さんは、祖父が大正時代から始めた杼作りの家に生まれ、祖父や父の姿を見て育った。自らも同じ道に入ったのは高校生だった17歳の頃から。当時は帯の生産も多く、杼の需要も安定し、近隣には杼の職人の家が3〜4軒あった。しかしきものの生産が衰退していくうちに職人も廃業するようになり、約20年前から、残る職人は長谷川さんだけになったという。
非常に堅い木を使うため、強い腕力が必要で、職人になって60年余りがたった今、長谷川さんはコルセットで体を支えながら作業に臨む。しかし、1999年に国から選定保存技術保持者の認定を受けるなど、仕事ぶりの精巧さには定評があり、人間国宝の染織家や有名作家も長谷川さんの品を重宝している。
ただ、後継者不足に加え、杼作りに必要な部品の調達が難しくなっているという課題もある。伝統工芸の分野では職人の作業が極端に細分化し、杼作りに欠かせない、糸をすべらすための「糸口」と呼ばれる小さな清水焼製の部品や、鹿児島産のツゲで作る回転器具の「駒」は、もはや手持ちの在庫で対応するしかなくなっている。
それでも長谷川さんは「西陣だけでなく丹後や府外では八丈島(東京)、そして海外にも自分の杼を必要としてくれている人がいる。どんなに困難があろうとも、死ぬまで仕事をやめることは考えていない」と力強く語る。