染屋や旗屋が並ぶ京都市上京区大宮通。一角にある工房で、染色補正師で彩色家紋作家の森本景一さん(6)が、仕立て上がったばかりの淡いピンクのきものを広げていた。
「名前がゆりこだから、ユリの紋を作ってほしいと言われてね」。きものの背には、3本の青竹と1輪の白いユリを組み合わせた紋。千葉県の女性から依頼され、女性の家に代々伝わる家紋を基調に作った。
「最近は紋を楽しむお客さんが増えてきた」と話す森本さんが、日本を代表する紋の一つとして考えているのが、桐の葉と花を図案化した桐紋の一つ、「五七」だ。首相が記者会見する際の演台に付すなど、政府も広く使っている。森本さんは2年前、フランスのパリ日本文化会館に寄贈した家紋額にも五七桐をあしらった。

  
紋のてっぺんは 「豊臣ブランド」
秀吉が毛利輝元に与えた品と伝わる能装束
桐には、聖天子の誕生とともに現れる鳳凰が宿るとの伝承がある。桐紋は嵯峨天皇(786〜842)の頃から天皇の衣服に使われるようになったとされ、菊紋に次いで格式が高い。
なかでも、花の数が「5・7・5」に並ぶ五七桐は、政権をつかさどる者の紋といわれる。豊臣秀吉も豊臣姓を名乗る際、天皇から賜った。
「秀吉さんは、よっぽど五七桐が気に入ったんでしょう。ちょっとずつ違うデザインのものが20種類以上もある」と森本さん。愛用した独自の五七桐は、秀吉の定紋「太閤桐」と呼ばれている。

「紋を模様のようにたくさんあしらったきものを着始めたのは、秀吉が最初ではないのか」・・・?。染織品の歴史に詳しい東京国立博物館教育普及室長の小山弓弦葉ゆづるはさんは、そう話す。
秀吉の遺品として残る衣服には桐や菊の紋、特に五七桐が強調されたデザインが多い。
例えば、豊国神社(京都市)に残る秀吉の愛用品「黄地菊桐紋付紗綾胴服きじきくきりもんつきさやどうふく」(重要文化財)。五七桐と二つの菊紋を組み合わせたデザインが、5か所に刺しゅうされている。
京都国立博物館の収蔵品「桐矢襖文辻ヶ花染道きりやぶすまもんつじがはなぞめどう」(同)には、両胸、両袖と背中に五七桐紋があしらわれ、腰にも桐紋の一種「踊り桐紋」がいくつも施されている。

京都国立博物館の収蔵品「桐矢襖文辻ヶ花染道服きりやぶすまもんつじがはなぞめどうふく」(同)には、両胸、両袖と背中に五七桐紋があしらわれ、腰にも桐紋の一種「踊り桐紋」がいくつも施されている。
桐紋は、秀吉にとって天皇の忠実な家臣であるとともに、天下を治めることを許されたという証しであり、紋入りの衣服や道具を家臣に惜しげもなく「下賜」かしした。桐矢襖文の胴服も、小田原攻めの際、陸奥国の武将・南部信直の家臣・北信愛から陣中見舞いとして鷹50羽、馬100頭を贈られた返礼に与えたと伝わるものだ。
ただ晩年、町民も桐紋を使うようになったため、秀吉は特定の大名にだけ桐紋などの使用を許すようになる。
「ルイ・ヴィトンのモノグラムのように、紋を豊臣家というブランドの象徴ととらえていたのではないだろうか」。小山さんは、秀吉が意図的にデザインを作らせたとみる。

  海外でも注目
 日本の家紋
ニュージーランド在住の家紋デザイナー・沖のりこさん(39)は、アメリカやフランスなどからインターネットで依頼を受け、名刺のロゴや柔道・剣道の道具にあしらうオリジナル紋を作っている。「紋はシンプルだが、和を感じさせるところが、外国人に好まれている」と言う。
戦国武将ブームの影響で、若い世代にも浸透しつつある。
8月初旬、大阪城天守閣。東京都中野区の中学1年の少年(12)は、真田家の「六文銭」が入った扇子を持ち、徳川家の「葵」がプリントされたTシャツ姿で訪れた。「紋ってかっこいい」。大手スポーツブランドのロゴと同じイメージで家紋グッズを使っているという。
森本さんも月に数回、京都府内に残る紋のデータベース化に取り組む家紋研究家の長男・勇矢さん(37)とともに工房などで講座を開く。多くの質問が寄せられ、時間を延長することも度々あるほど、参加者の関心は高い。
くしくも、工房は秀吉の邸宅「聚楽第」があった場所にほど近い。「紋好きの太閤さんに導かれたんですかねえ」。森本さんは不思議な縁を感じている。