古来より日本の文化に大きな影響を及ぼしてきたきもの。そのきものには多くの決まりごとがある。絹、綿などの素材において、振袖、留袖などのデザインにおいて、TPOにおいて。それはそれで生かしていけばいい。が・・・
今は、そんな決まりごとよりもファッションで個性的に着ればいい。振袖にブーツ、ゆかたに袋帯etc。そう文字通りFreedomでいこう。
私も、ジーパンでTシャツ、その上からデニムのきものを着る。「いいきものですね」とは言ってもらえないが、違う意味でもてますぞ。
私が共感する記事が京都新聞に載っていたので紹介しよう。

   遊び心
 大切に
きもの風土記
筆者所有のデニムの帯ときもの
ウインドーの向こうに見える反物に、通りすがり
視線がちらりと反応する。中にたたずむのは、シンプルな格子縞のきものをまとったトルソー(マネキン人形)。
「きものが着られなくなった原因のひとつは、決まりごとをうるさく言われることにあると思うんです」。そう語るもりたもとこさんはおおらかで端切れのよいトークと眼鏡、肩の凝らないきもの姿がトレードマーク。提案する、色物の足袋や日本手ぬぐいの半襟といったスタイルは、きものを気軽に楽しみたいと思っていた人の心をとらえ、雑誌のお手本コーディネートの常連でもある。
呉服関係の会社が立ち並ぶ京都は室町通での出店。プレッシャーのかかる朝鮮のように思えるが、「単に実家がここなんです」。室町で育ったが、父は公務員。きものには縁がなかった。ただ、結婚して済んだ千葉で子育てをしながら「40歳になったらきものの人になろう」と決めてたいた。
夫の転勤で再び京都に戻ってきた時、予定より少し遅れて、あこがれのきもの生活を始めた。しかしあまりの値段に新しいものには手が出なかった。古着を我流で楽しんでいたがここはきものの町・京都。「きものに一言ある人が多いでしょう。このきものにこの帯? おかしくないの?とすぐ言われてしまう」ライブにはきもので出かけても、お茶席には洋服で出かけたこともあった。「きものを着ることに萎縮してしてしまって。でも、そんなに恐がらせてどうするの、って思いません?」
そんな反発心も手伝って、個性的な柄のカーテン地やデニム地で帯を作ったり、ファスナーや大きなボタンをお太鼓に付けたりして街を歩いた。すると、知らない人から「あれがダメ、これがダメ、と言うのではなく、こんなんでもいいのよね、と自分が着て伝えたかったんです」
店をオープンしてからは、「木綿のきものはあくまでもケのきもの。例えば、花嫁さんのハレの場である披露宴は、おめでとうの気持ちを表す晴れやかな格好で行く者。今日は洋服かきものかどうしよう、と迷った時の選択肢の1つに木綿があれば」。そういう自分自身、いつか出会った「『きものにうるさいおばさん』になってきたのかも」と笑う。店を始めて変った点だ。
まさにうなぎの寝床といた京町家の実家の、表だけを改装して店舗にした。土間と見世の間がある10坪ほどの店の奥には、今も両親が暮らす。夫は単身赴任、2人の息子は独立し、すでに家を離れた。
「私が京都で何をやっているのか知らないんじゃないかな。聞いてくれないので、私も言わないんです」メディアにたびたび登場する母の姿を知ったら「驚くかな」。きもの業界に新風を吹き込んだたくましい母は、やはりおおらかな笑顔で言った。