番外編
文字通り番外編、ごくごくプライベートな頁です。
興味のある方はご笑覧ください。

きもの風土記
きもの風土記 る秋、柿のある風景をカメラに収めようと、丹波町にある山陰本線の安栖里駅付近の里山にたった時、過去が頭をかけ巡った。
蒸気機関車が主役を演じていた頃、父親の里帰りや墓参などに手をひかれ、何度となく往復した京都〜綾部間。去りし日の約80`は、石炭をエネルギーに変えて全線単線の平地を走っていた。そして、京都市内を出てからの各駅舎の外に見える風景からは、これ以上の発展は望めそうにもないところに駅々は置かれていた、などと思い出す。今はどうなっているのだろうか。
ノスタルジーにかられ、駅を外から見てみようとハンドルを手にし、シャッターを押した。かつて想像したように、幾つかの駅を除いては発展という2文字からは取り残されている。そんな駅前の風景は何か哀しげに見える。もう一つ、当時は線路上だった少年には気づくすべもなかったが、土盛の地上駅に入るのに、下からトンネル状に穴を開け階段を登るようになっている。昔もそうであったのだろうか?
陰線、文字通り谷あい山あいの陰を縫うように走っている。具体的には京都駅から7つ目の駅嵯峨嵐山のトンネルを抜けると「保津川下り」で有名な桂川が眼下に広がる。山と川に挟まれた絶壁上のわずかな隙間を走る列車はやがて保津峡駅につく。山陰線の駅の近くには総じて民家は少ないが、この駅付近には1軒の民家も無い。何故?、調べてみると、もともと信号場(しんごうじょ=車庫のようなもの)として1929年に開設され、36年に旅客駅に昇格したのだという。納得して先を続けよう。日吉駅からは胡麻川が列車に付き合い、下山駅から由良川沿いになる。すべて峡谷形状、よくぞ山陰線と命名したものだ。現在は旧保津峡駅はトロッコ列車の駅になり、新保津峡駅(上の写真)は桂川の上に新設されている。一方、土盛上のホ−ムにトンネル状の階段を上って出るという、したがって駅舎が無い駅が二つほどできていた。
言い遅れたが、京都駅から花園駅までは高架となっており、京都〜綾部間は電化されている。
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トンネル形式の入り口の階段 を上って土盛上のホームに出る
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トロッコ電車 旧保津峡駅(現在はトロッコ駅)
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高屋川の鉄橋 土盛上の地上駅
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安栖里の山里 D51

調べて判ったのだが、国鉄時代の山陰本線はあくまでも長距離特急や長距離普通列車を中心に運行され、小さな村落や京都近郊の通勤通学需要など殆ど考慮されていなかったらしい。だから山間の発展性のない狭い地域に駅を設けたのだと理解したが、間違いか。が、現在では園部あたりまで京都や大阪のベッドタウン化しているため(電化はされている)、おくればせながら複線が整備されつつある。そのためか、工事している駅が多かった。知らなかったのだが、京都〜園部間を嵯峨野線と言うらしい。
堅いことは抜きにしていざ出発、お付き合いのほどを。