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    群馬県絹織物協同組合



きもの風土記
波志江沼

  伊勢崎織物工業組合


伊勢崎産地が一貫生産の形態をとったのは15世紀の初期で太織から伊勢崎縞と推移しながらかつて一世を風靡した伊勢崎銘仙へとつなげた伝統ある産地だ。北関東は早くから蚕桑の行が開け、それに伴う機織が農家の間で広められてきた。
そして農家で製糸、染色、織布と、一貫生産してきた太織が元亀年間(1570)に商品化されるとともに伊勢崎に市がたち、享保年間(1716)には利根川利用し江戸へ移出されるようになり、伊勢崎織物の名は広く知られるようになる。
創生時の織物は野蚕糸が殆どであり、染色も草木染による無地か縞柄であって、居座機を使用していた。地風に変化を求める原始的手法も伊勢崎太織の縞を原型に、括り絣、板締絣、珍絣銘仙へと発展させ、さらに型紙による捺染加工の考案で緯総絣や併用絣と多岐に応用されていき、後には結城紬にも大きな影響を与えている。
銘仙の呼称が生まれたのは明治年間。この頃になると設備も手織機のほか力織機も導入され、手織銘仙に加えて力織機による文化銘仙や模様銘仙が生産されるようになり、大正中頃には黄金時代を迎えている。しかし、伊勢崎の代名詞であった銘仙もウールや化合繊への素材転換の中で徐々に姿を消していったが、伝統的な技術は継承され、昭和40年以降の主力商品に育ったウール絣に再現されている。
現在は、量より質の追及により、正絹にウエートが置かれているが、伊勢崎絣の技法は健在である。

                  

きもの風土記
高尾山薬王院

  八王子織物工業組合


八王子産地は9世紀の平安時代に起源をもつが、世間に認められたのは12世紀の北条時代で、滝山城の名にちなんで滝山紬が取引されていた。江戸時代には、4の日8の日に市がたち、紬、麻、太物、紙、殻、魚塩の七座により商品取引が行われ、関東でも有数の市場として発達していった。
その繁栄をさらに高めたのが正徳年間(1711)以降の副業から専業化の試みで、先進機業地の桐生や足利からの高機技術の導入が盛んに行われ、機屋仲間が組織化されるに及んで飛躍的に発展、短期間のういちに関東3大機業地の1つに仲間入りする。が、幕末から明治にかけて産地は、安政の開港による生糸のの暴騰と量産タイプの産地形態がブレーキとなって不振に陥る。ただちに技術面をも含めた体質改善に取り組み、ことなきを得ているが、後々に発揮される「機を見て対応」の産地気質は、その機敏さからウールの八王子として、他産地に先駆けさせたことになる。
戦前の企業整備と戦後の混乱を通じた10年間の空白は昭和24、5年頃で終止符をうち、特産品の多摩結城に始まり解糸染めの加比丹(カピタン)がブームを呼び、次いで紋織りの優美お召しが広幅織機によって生産されるなど、早々と王座に返り咲き、世に言う織れば売れたガチャマン時代を迎える。これに力を得、新製品開発にますます意欲を燃やしていく。昭和30年頃には多摩結城に代わるウール着尺の試織品が誕生する。これが市場に出るとたちまちのうちに花形商品となり、32年以降生産はウナギのぼりに増大していく。ジャガードの普及もこれに拍車をかけ、紋ウールやシルクウール、さらにアンサンブルと次々に新製品が開発され、ウールの総合産地としての基盤を確固たるものとした。現在でもカジュアルではリード的存在にある。

                     

きもの風土記
野山北公園のカタクリの花

  村山織物協同組合

村山産地といえば村山大島紬が真っ先にうかぶが、東京西部の狭山丘陵一帯に盛んだった養蚕業を背景に培われたもので村山大島紬の源流となった砂川太織は、16世紀初期の慶長年間に開拓された砂川村で農民の自家用として織られていたもの。副業とはいえ、玉繭を原料とする繰織は、品質優良であったため、市場での取り引きも活発となり特産品として生産量が増大していった。
一方、村山紺絣は、文化年間(1814)に創作されたものが村山地区で、元治・慶応(1865)には既に産地化していた同地域での代表商品とし、明治中頃から大正の初めにかけて全盛を極め、一時は、留米、伊予絣をしのぐ勢いにあった。しかし、技術的幼稚さから敬遠され、衰退していった。引も活発となり、特産品として生産量が増大していった。一方、村山紺絣は文化年間(1814)に創作されたものが村山地区に入り開花したもので、元冶・慶応(1865)に既に産地化していた同地域での代表商品として、明冶中頃から大正の初めにかけて全盛を極め、一時は久留米、伊予絣をしのぐ勢いにあった。しかし、技術的幼稚さから敬遠され、衰退していった。
砂川太織と村山紺絣の技術的融合が、村山大島紬を生みだすのだが、それまでの過程として縞銘仙、乱絣、締切、経無地絣などが開発され、大正8年以降につむぎの原型が形成されていった。
そして伊勢崎などの先進産地からの技術の影響を強く受け、紬の産地として自他共に認める存在となっていく。その後、夏物として村山結城縮、お召し、八千代ポーラーなどが追加され、特に経緯節意図使いの結城縮は優雅な柄意匠と色感覚が人気となり大島紬と共に特産品となった。
現在の村山大島は、武蔵村山市を中心に昭島市、瑞穂町、埼玉県入間市、飯能市周辺と、広範囲に渡って生産されている。


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     長野県織物工業組合
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