きもの風土記きもの風土記
きもの風土記


750年余の伝統を有する博多織は、その起源を宗の織物に持つ。
嘉禎元年(1235)、博多の商人であった満田弥三右衛門が承天寺の開山聖一国師とともに宗に渡り、6年余の辛苦の末その技術を持ち帰ったのが始まりと云われている。しかし、当事の織物は紋様を中心に宗の模倣にすぎなかった。そこで弥三右衛門は、改めて聖一国師に教えを乞い、仏具の独釦や華皿などの図柄図案化し、研究研鑚の上織り出したのが今日伝えられる博多帯の献上柄の元になったとされている。献上博多は「独釦(どっこ)」「花菱」の模様を総柄に布面に浮かし、その側に堅縞を配した図柄の帯地で、宝暦、明和の頃(1751)、福岡藩主黒田氏からこの柄合のものを幕府に献上したところからこの名が残った。柄の色合いから白献上茶献上などとも呼ばれる。
現在は博多を中心に製織されているが、今回はあえて下秋月を取り上げてみた。


7月、「博多山笠」で賑わう博多の喧騒から逃れ南東へ35`。静かな山峡に人口1170余名の小さな城下町筑前秋月がある。現在は静かな歴史を留めて・・というのがイメージだが、その昔は戦国大名秋月氏の居城の地であった。建仁2年(1203)、源頼家より秋月荘を賜った原田種雄(秋月姓に改名)を祖とし、この地から筑前、肥後といった北部九州を7代にわたって支配していた。しかし、天正15年(1587)、豊臣秀吉の島津征伐により秋月種実が岩石城(ガンジャクジョウ=田川市)に敗れ、約400年の統治に幕を下ろす。代わって筑前は小早川隆景、石田三成などの統治下におかれるが、関ヶ原の合戦後は福岡藩の支藩となり、黒田長政の三男長興が、五万石の秋月藩主として分地されてくる。約700年の歴史である。