きもの風土記


信州の穀倉地帯としても有名な安曇野は、長野県北西部に位置し、文字どおりのどかな田園風景が広がっていた。そしてその水には海抜1.000〜3.000bを誇る北アルプスの山々が美しく映し出されている。そんな安曇野の北西部に位置する穂高町には、清冽で豊富な地下水を利用した緑に輝くわさび畑や清水に踊るニジマスの養殖が見られる。一方、村人が最も身近な神として五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を願って祭った道祖神が、道の辻のあちこちで見ることができる。また、「春は名のみの風の寒さや」で有名な、作詞家吉丸一昌が穂高川沿いを歩きながら作ったといわれている、早春賦の歌碑にもお目にかかれる。ここに涌き出る地下水が名水百選「安曇野わさび畑湧水群」にも認定されるなど、文字どおり光と水と緑ののどかなふる里である。それと共に奨励されているのが天蚕であり、主に穂高は有明地方で生産されている。

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早春賦の碑  道祖神 わさび田


 
天蚕の生態を述べる前に、その飼育の歴史を記しておこう。
天明年間(1781−1788)のころ、既に野生の天蚕を採集して飼育が始められていたという。そして、嘉永年間(1849−1853)に入ると繰糸技術が習得され、明治初年になると踏み取り機による繰糸も行われだした。明治30年には有明地方を中心に面積3000fから800方粒もの繭が生産され、他県への出張飼育など、黄金時代を迎えるにいたった。さらに、天蚕繭から生糸を製糸し国内の織物産地へと出荷され、同時に、絹に混織した「有明天蚕紬(有明紬)」の製織や、西陣の「天蚕総通承華縮緬」といった特殊な織物に使用されるなど、その名声を不動のものにしていった。しかし、明治35年には微粒子病やうじばえが発生し衰退していく。このことが原因となり天蚕組合を立ち上げて復興に乗り出すのだが・・・。大正2年のことだ。大正4年、焼岳噴火。気運が盛り上がり復活に努力していた矢先の不幸であった。降灰により痛手を受けた天蚕飼育。それでもと歯を食いしばるが如何せん、第2次大戦が追い討ちをかけ、途絶えてしまうのである。
昭和48年、心ある人々が幻の糸を復活させようと立ち上がる。そして現在、紆余曲折を味わいながらも穂高町では、県の委託により農家に配布し、収穫した天蚕繭を穂高町が買い上げ各織物産地へと出荷すると共に、この地で一貫生産もなし、販売までも取り組んでいる。無論のこと、有明紬も健在だ。
水上勉の文学作品「西陣の女」などで一躍名を馳せた穂高天蚕糸は、生産量10万粒と全盛期には及ばないが、その稀少価値を活かし世界に類のない特産品として生き続けている。
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ニジマス
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糸繰り
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有明紬
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冬の焼岳