和傘の話し

最近の和ブームの追い風を受けてきものも一時の低迷期から脱しつつある。そんな中、和傘への問い合わせも増えているとの噂を小耳にはさみ、和傘についてちょいと調べてみた。
和傘、それは他の多くのものと同様中国からの伝来とされている。が、日本文化のもと独自の形を創りだしており、端的な特徴は、中国のものとは全体的ににほっそりしていて軽いというところだろうか。
和傘、それの日本上陸は鎌倉時代だと思える。文献上の記録ではあるが当事の絵巻物「春日権現験記絵」に、貴族が傘をさしている図が掲載されているが、どうも日よけのようだ。雨具として一般的に使われだしたのは、江戸、天明年間以降のことであり、それまでの雨具といえば、地方の民俗資料館などに展示されている簑(みの)、菅笠(すげかさ)であった。江戸後期以降には生活必需品として広く普及し、下駄などと等しく、どこの民家でも作られており、また販売する店もあったという。安藤広重の「大橋あたりの夕立」や歌麿の美人画にも傘をさす町人の姿が多く見られるように、最盛期には1千万本以上も生産されていたという。
現在和傘は、京都や岐阜、岩手、大分などで生産されているようだが、全国的にみても10数軒を数えるだけだという。
和傘の種類は大きく分けて、千利休の一期一会の精神を茶室外に求めた大型の野点(のだて)用傘、男性が家紋や屋号を入れて用いる生成りの番傘、上から見た模様がヘビの目似ているところから名づけられた蛇の目傘の3種だが、中でも蛇の目は、色柄には関係なく、女性が持つ細身で色鮮やかな和傘の総称となっている。
選りすぐった孟宗竹1本を50に割り骨を組み、骨に微妙に水分を含ませた和紙80枚以上を張り、柿渋を塗り、骨の上に紅の漆を置き、仕上げていく。しかし、洋傘の出現などにより、昔あった職人技術はこの世界もなくなったりしているという。
和傘と洋傘、用途は同じであっても構造が全く違う。洋傘は針金の張力押し出して張り、閉じるときは生地を骨の外に巻き込むのに対し、和傘は骨と骨の間に生地を畳み込み骨が外に見える。
和傘には竹と和紙といった自然素材が用いられている。当然のことながら竹には節があり、和紙には漉きむらがある。そこに職人の手のぬくもりが加わる。洋傘とは全く違った魅力で楽しめるのも和傘だと思う。