きものって、伝統、芸術、ファッション?

一昔前、ある目的を持って裏千家(お茶)の有名宗匠との対談を企てたことがある。その内容は「大島紬について」であった。宗匠は、「私も学生時代大島を着たことがある。その時電車のホームで雪駄を飛ばした。あれは慣れないと履きにくいですね」、こんな話題をはさみながら、いかに大島が素晴らしいかをとうとうと話してくれた。
本題に入る前に少し触れておきたいことがある。きものにもフォーマルとカジュアルがあることをご存知であろうか。基本的には紬などの先染め織物はカジュアルで、それに対して友禅などはフォーマル(中にはカジュアルもあるが)とされている。私見だが、前者は各地の家庭で自家用として織られていたためであり、後者は職人、いわゆるプロの手に委ねなければならないということも一因と考える。紬というより絹織物と言った方がいい大島紬もカジュアルなのだ。
当事、きものをファッションとしてとらえたかった私は、「きものはきもの、カジュアルとかフォーマルにわけなくてもいいじゃないか、紬の訪問着があってもいいじゃないか、そうすれば産地もより動きやすくなるのでは」と考えていた。そこで、その目的を、しきたりには厳しいお茶の世界に向けてみた。
伝統を重んじるものは総じて服装にも厳格だが、茶の道もひけを取らない。お稽古の時や練習席でははさほど厳しくはないが、本席(初釜など公式の茶席)ともなるとカジュアルは絶対に許されない。何とか宗匠の口から「大島も茶会の本席へ・・」の一言を貰い、活字にすることで大島をメインステージにと試みたのだが、大島を褒めちぎっていた宗匠ではあったが、その首が縦に振られることはなかった。
現在、ヤングがアンティークきものに興味を持ち、ゆかたに帽子をかぶり、絹の帯を締め、歩く姿をあちこちで見かける。かたや作り手も、現在に目を向ける若い女性スタッフに製作を自由にまかすなど、ファッションとしての斬新なきものがあちこちの店頭に並ぶようになってきた。しかも安価で。このような状況に顔をしかめる方がおられることも推察できるが、いいじゃないですかきものは着るもので。
心配しなくとも日本人であるからこそのDNAが、伝統、芸術、フアッションの3つのきもの文化を今後も育てていくはずだ。
伝統にはこのきもの、この帯、この季節にはこのきもの、このような席にはこのきもの。芸術には2.000万円のきもの
(久保田一竹作総柄)もあっていい。そしてルールにとらわれず自由に着こなすファッションとしてのきもの。あーあ楽しきかなきものだ。