きもの風土記きもの風土記

日本最古といわれる紬のふる里は、東に筑波山双峰、西北に日光連山、その中央に鬼怒川の清流を持つ自然豊かな結城野にある。そしてこの地は上古(奈良・天平)から、総(ふさ=麻)や穀(ゆう=木綿)の産地として総の国(ふさのくに)「ゆうき」と呼ばれ、縄文時代から農耕文化が栄えてきた。
これは水運に恵まれた自然環境に負うところ大であり、今なお市内に現存する数多くの古墳や出土品遺跡などによってうかがい知ることができる。
大化の改新で、全国的に整備された律令制度により総の国は上下に分かれ、下総の国の一部として結城が成立したとされているが、織物が発達してきた地には必ずといっていいほど桑栽培が盛んであったが、ここ結城も例外ではなく、日本有数のお蚕どころであったことを付け加えておこう。
結城市、今では、母なる川鬼怒川がもたらす安定した肥沃な沖積層や洪積層には、関東の台所としての田畑が広がるが、嘗ては多くの桑畑を持ち、それ故に時の権力にも守られながら、紬の里としても発展していった。一方、市街地には、中世城下町の原型をとどめるなど、その歴史においても深い重みを備えている。そしてこの地の殆どのことが結城家と深く関わってきた。
結城は古くから「麻」や「ゆうの木」が良く育つところとして農業を基礎としていたが、鎌倉時代に入ると結城家初代の武将・朝光がこの地に築城したことによって北関東の経済の中心となっていった。
一方紬だが、日本でも有数のお蚕どころであったこの地に、古くから絹織物が作られていたことは言うまでもない。